うまく歌えない歌を歌う


「じゃあ、そろそろ聞かせてもらうわよ!」
 一杯目はビール。二杯目はハイボール。ちまちまチェイサーを挟んで、熱燗の徳利を空にしたところで、神妙な顔をした一華が日根野に詰め寄った。「あの日」からしばらくたって、ほとぼとりも冷めたあたり。お互い仕事をこなしていき、段々連絡の間隔が開いてきたあたり。『飲みに行きませんか』と連絡をしたのは日根野の方だった。疎遠になるならこのタイミング。そして、今後継続的に連絡を取る方向に舵を切るならこのタイミングだった。日根野はそのような、人間関係の「流れ」のようなものを、よく気にする人間だった。
「な、なんですか」
「『なんですか』じゃないわよぉ~!『終電のがしちゃったけど日根野さんに送ってもらった~』って証言は来てんのよッ!」
「へ?…あ、」
 日根野の手からお猪口が落ちる。チェーンのカラオケ店、飲み放題、プレミアムコース。『ビールが飲めるようにしたのよ。感謝しなさいよねッ』と場所を設定した本人は、ほとんど酒を飲まずに歌いどおしだった。もともと丁寧に扱われることを想定していないのであろうお猪口は、軽い音を立ててテーブルの上を転がった。
「あんたッ!何にもしてないでしょうね!!!」
 それを後ろめたさによる動揺ととったのか、一華は眉を吊り上げた。口調はいつもの通りだが、心なしか声にドスが効いている気がする。
「してない、してない。しない。助手席にも座らせてないよ。」
 その返答を聞くと、一華はため息をつき、『冗談よ』と呟いてソファに腰かけた。
「役作りに協力してやったんでしょ?『帰って急いでメモしたんだ~』って見せてくれたわよ。」
「う~~ん」
 ソフトドリンクをストローで吸いながら、今度は日根野が顔を曇らせる番だった。アルコールによってぼやけた記憶から、苦い味が染みてくる。
「変なこと教えちゃったかなぁ…」
「何よ!?変なこと!?ちょっと!全部聞かせてもらうわよッ…!!」
 一華はそう言うとハイボールの入ったグラスを押し付けてきた。カラオケルームには一華の予約した曲が、歌われることのないまま流れている。若いころ、仕事を減らすとともに大衆の記憶から忘れ去られ、子役時代の威光もほぼなくなっていたころは、日根野が自分の姿をみるのはこのカラオケルームだけだった時期もあった。十字架のネックレスをして、神妙な顔で暗い街を歩いていた。カラオケに入るか入らないかの知名度の曲のMVにもよく出た。『曲の邪魔をしない』ということで、日根野はある程度需要があった。
 あの頃と、今。慕ってくれる後輩に、日根野がやったことと言えば
「なんでしょう、結局、皇くんのパクリみたいなことを言ってしまったかもしれません」
「すめらぎィ!?」
 一華の顔がどんどん険しくなる。日根野は奇妙な体験をした者同士、自身を入れたあの4人をセットで考えているのだが、一華は皇に対し何やら思うことがあるようだ。皇の話を振らないほうが良かったかもしれないと思ったが、一華が険しい顔のまま続きを促すので、もう一度口を開く。
「ある撮影で、共演したとき…まあ、『あの日』より結構前ですが、ひとりの役者が、皇と打ち合わせをしようと声をかけたんです。」
「打ち合わせって」
「まあ、『自分はこう動くけど大丈夫か』、みたいな。台本には直接書かれてない動きだったんで、不安になって聞いたんでしょうね。その前に僕や、それ以外の役者にも了解をとっていて。僕は普通に、大丈夫だよ、みたいなことを言ったんですけど」
「ま、よくある話よね。初共演とかだったら特に。」
「皇く、んは」
 声がのどに詰まる。日根野はグラスをあおり、深呼吸をする。
「なによ、あの調子で無愛想な返事でもしたってわけ?」
「いや…皇くんは、ただ、すごく不思議そうな顔をしたんです。」
 強く印象に残っていた。今でもすぐに思い出せる。あの撮影ではつかみどころのないが柔和な口調の役をやっていたから、不愛想な返事をすることはなかった。ただ、きょとん、と効果音でも付きそうな。暴力的な無邪気さで、『どうしてそんなことを聞くのだろう』という顔をしていた。
「当時は、天才に打ち合わせなんて必要ないって事かよ、って思ってたんですけど。」
「違うっての?」
「いや、本人に聞いたわけじゃないんで。僕の妄想ですよ。」
「いいわよぉ、アンタの妄想聞いてみたいわ。どんどん飲んでどんどん話しなさいッ」
 勧められていることもあり、日根野のアルコール摂取量はどんどん増えていく。今夜は悪酔いしそうだと思った時の、どこかわくわくする気持ちが日根野の体を温める。『酒を飲んだら別の自分に』という期待は中毒症への一歩だから、普段はしないようにしているのだけれど。
「皇にとっては…というかそもそも僕たちがやる役、生きる人物にとっては、相手の動きなんてわからないことが当たり前だよな、って思って。」
 グラスの中の炭酸が弱くなっている。力なくはじけて消える泡を見つめながら、日根野は話を続ける。
「僕たちは台本を読むけど…そして多分皇も台本を読むし、台本の通りに話すけど、皇は台本から読み取った役を生きることで、結果的に台本通りになっている…だから皇には打ち合わせがいらないんでしょうね」
「それをすんなりできないからちゃんと生きてる役の視野を自覚しようって話でしょ!?別にパクリじゃないじゃない」
 ひがみ根性丸出しの妄想を、一華は決して笑わなかった。役者の才能が欠けている、と、感じたことのある人間。自分の目標のために、覚悟を持って、才能を求めた人間。『そうですね』と笑って顔を向けようとして、視界がぼやけていることに気が付く。
「何泣いてんのよぉ~~!」
「あれ、すみません、泣き上戸の自覚はあんまり、ないんですけど」
 鼻が詰まる。ティッシュを探そう、と思う前に、一華が差し出してくれた。
 皇の話をするのが、日根野は苦手だった。というか、したことがなかった。元子役同士であり、共演回数も多いことから、たびたび皇について話を聞かれることはあった。しかし、日根野の言うことは毎回決まっていた。「僕も頑張らないと」。それだけだった。
「や、上野さんに言ったこと、を、思い返して……僕は、ほんとに、自分とどう似てるかでしか演技ができないな、と思って…」
 こんなことを話すのは、聞かせるのは、これが初めてだ。
「毛局頭でっかちで、入り込めないんです。入り込むことが怖い。入り込んでるのは僕だけで、「嘘」になってるかもしれないって、思ってしまう。だから、もうこのやり方しかできない…」
 ボロボロ泣いて、鼻をかむ。演技以外でこんなに泣いたのは、本当に久しぶりかもしれない。きっと明日は頭痛に苦しむことになるだろう。変な絡み方をしてしまったな、と思っていると、「あ~すっきりした!」と一華は予約機器を操作していた。
「じゃあ、あの子とは結局何にもないってコトね」
「…そこですか」
「大事なことよッ!」
 スキャンダルなんてあっていいことないんだからッ!と日根野を睨み、『でも』と続ける。
「良いもん見たわ。アンタ結構拗らせてんのね。」
「…一華さんの前だけですよ」
「あら、うれしいこと言ってくれるじゃない」
 新しい曲が入力され、モニターの画面が変わる。十字架のネックレスの男が、神妙な面持ちで暗い街を歩いている。そこに映っているのは、もう日根野ではない。日根野はもう、安いカラオケ映像には出てこない。
 一華の芯のある、しかし甘やかな歌声が部屋を満たす。そういえばまだ一度も歌っていなかった、と、日根野も予約機器を操作してみる。あの夜、彼女から教えてもらった曲が見つかる。あれからずっと車で流していたが、歌うのは初めてだ。ボイストレーニングは欠かしたことはないが、うまく歌えないかもしれない。
 でも、まあ、今日くらいは。

2021/11/24

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